世界遺産に指定されている南区の東寺。
正式名称は「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」といい、平安京造営の際に鎮護として創建されたのが始まりのお寺です。
広大な境内の中で、ひときわ目立っているのが国宝「五重塔」。
五重塔は焼失と再建を繰り返しており、現在の塔は5代目。
木造塔としては、日本一の高さ(54.8メートル)を誇っています。
そんな五重塔ですが、初代が建立された時に「あるトラブル」が起こったのをご存知でしょうか?
あまり知られていない「秘話」をご紹介させていただきます。
空海が始めた「東寺の五重塔工事」
初代の五重塔は、天長3年(826)に弘法大師・空海によって建てられ始めました。
当時は重機などもないため、材木の伐採・運搬は非常に大変であり、費用も労働力も不足していました。
そこで空海は、朝廷に「東寺塔を造り奉る材木を曳き運ぶ勧進の表」を提出し協力を仰ぎます。
勧進の表を提出した結果、多数の人員の確保に成功し、東山から計24本の材木を調達することが出来ました。
順調に進み始めた五重塔の建立ですが、ここで「事件」が起きます
天皇が「稲荷神の祟り」で病気に
天長3年(826)の12月末、時の淳和天皇は病にかかり、儀式などに出席できないほどの状態に陥りました。
なかなか体調がよくならないので、天長4年(827)の正月、病の原因を占ってみたところ、「稲荷山から木を切り出したことによる祟り」と判明します。
伏見稲荷大社の背後にある霊山のこと。
平安当時、伏見稲荷大社の社殿は稲荷山の山中に建っていました。
五重塔建立チームは、うっかり稲荷山の木を切り出してしまっていたのです。
これに稲荷神が激怒し、天皇を祟りで病気にしたわけです。
朝廷は稲荷神の怒りを鎮めるため、「稲荷社(現・伏見稲荷大社)」に勅使を遣わせ、「従五位下」の神階を授けました。
これにより天皇の病は、無事に治癒したといいます。
これ以降、稲荷社は目まぐるしい発展を遂げることになり、天慶5年(942)に神階の最高位「正一位」が授与され、応和3年(963)には東南の鎮護神と定められました。
まとめ
以上、東寺・五重塔の建立の際に起こった事件の紹介でした。
この事件以降、伏見稲荷大社と東寺は親しくなり、現在まで続く深い関係が築かれることになります。
伏見稲荷大社と東寺には、いろいろな面白い伝承が残されているので、また今度記事にしたいと思います。
伏見稲荷大社や稲荷神について知りたい方は、こちらの本がオススメですよ〜。
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参考文献
- 南日義妙『稲荷をたずねて』,1974年
- 京都新聞社『伏見稲荷大社』,1984年
- 三好和義『日本の古社 伏見稲荷大社』,2004年
- 中村陽監修『イチから知りたい日本の神さま2 稲荷大神』,2009年
- 佐和隆研『京都大事典』,1984年