京都の珍しい地名として有名な「悪王子町」。
「わるおうじちょう」と呼んでしまいそうですが、正しい読み方は「あくおうじちょう」です。
実は悪王子町の由来には、八坂神社境内にある「悪王子社」が関係しているのです。
この記事では、悪王子社と悪王子町の関係や「元悪王子町」について詳しくご紹介いたします。
八坂神社境内の悪王子社
国宝に指定された八坂神社の本殿。
その向かって右側に悪王子社(悪王子神社)はあります。
鳥居に掲げられている扁額(へんがく)には、旧字体の「惡」が使われています。
「悪」という字を見ると、「悪霊が祀られてるのかな?」と思ってしまいそうですが、決してそういうわけではなく、「悪」は「強力」という意味があります。
少しおどろおどろしい感じがする悪王子社には、一体どんな神様が祀られてるのでしょうか。
悪王子社の神様は「素戔嗚尊の荒魂」
悪王子社には、「素戔嗚尊の荒魂」が祀られています。
素戔嗚尊といえば、日本神話に登場する有名な神様ですよね。
厄除けなどの信仰を集めており、八坂神社本殿には主祭神として祀られています。
そんな素戔嗚尊の「荒魂」は、「現実に姿を現す霊験あらたかな神様」という意味があり、諸願成就のご利益があるとのこと。
神様の御霊には、優しくおだやかなはたらきの和霊と、荒く猛々しいはたらきの荒魂の2つの側面があり、八坂神社のように本殿に和霊、別の社殿に荒魂を祀る形式は全国的に多いそうです。
悪王子社は最初から八坂神社境内にあったわけではなく、現在にやってきたのは明治10年(1877)のこと。
では、それ以前はどこにあったのでしょうか。
悪王子社の始まりは元悪王子町
悪王子社の始まりの地は、下京区にある「元悪王子町(東洞院四条の南側)」。
天延2年(974)、八坂神社の摂社として建立されました。
元悪王子町のビル前には、悪王子社がこの地にあったことを示す「悪王子社之趾」の石碑がひっそりと建てられています。
石碑の場所。
この石碑から少し南に行ったところには、「悪王子社」の額が掲げられた小さなお社が鎮座。
このお社は平成10年(1998)に建立されたもので、八坂神社にある悪王子社の分霊が祀られています。
2021年2月に筆者が訪れたところ、工事が行われていたため悪王子社の存在を確認することが出来ませんでした。
さすがに取り壊されていないと思いますが、少し心配しております。
元悪王子町が「元」になった理由。
それは、悪王子社が「悪王子町」に移されたためです。
元悪王子町から悪王子町へ移転
天正18年(1590)、悪王子社は約600年以上鎮座していた元悪王子町を離れ、烏丸五条の北側に移されます。
移転先の場所は、檜皮葺職人が多く住んでいたことから「檜皮町」と呼ばれたいたようですが、寛永14年(1637)発行の洛中絵図には「悪わうぢ丁」、宝暦12年(1762)発行の京町鑑には「悪王寺町」とあり、悪王子社の移転により町の名称が変わっているのがわかります。
移転先の場所が「悪王子町」になり、もともとあった場所は「元悪王子町」になったわけですね。
神社やお寺の名称が地名になった例は多数あり、有名な「祇園」も「祇園社(八坂神社の旧称)」からきています。
興味がある方は、「ブラタモリ京都祇園編」の紹介記事を見てみてくださいね。
悪王子社の再々移転と再再々移転
元悪王子町から悪王子町に移された悪王子社。
明治10年(1877)に八坂神社に移されるまでの間、あと2回移転することになります。
- 慶長元年(1596)、豊臣秀吉の命により、悪王子町から四条京極にある祇園(八坂神社)御旅所へ
- 祇園(八坂神社)御旅所から四条大和大路へ(年代不明)
- 明治10年(1877)、四条大和大路から八坂神社境内へ
なお、上記の内容についても諸説あるようで、元悪王子町・悪王子社前の駒札には、「豊臣秀吉の命で烏丸五条に移された」とあります。
悪王子社・悪王子町まとめ
以上、八坂神社境内にある悪王子社や、悪王子社が元々あった場所「悪王子町」「元悪王子町」の紹介でした。
八坂神社に行った際は、ぜひ悪王子社にも参拝してみてくださいね!
悪王子社へのアクセス
- 京都市営バス「祇園」から徒歩約3分
- 京阪本線「祇園四条駅」から徒歩約9分
参考文献等
- 京都市の地名 平凡社 1979
- 八坂神社・悪王子社の駒札
- 元悪王子町・悪王子社の駒札