平成17年(2005)に再興された洛陽三十三所観音霊場。
現在の8番札所は、左京区にある大蓮寺になっていますが、再興される前は「七観音院(しちかんのいん)」というお寺が札所になっていました。
この記事では、東山の名所の一つに数えられていた七観音院の歴史から、祀られていた仏像、2021年現在どうなっているのかまでご紹介させていただきます。
七観音院の歴史
建久5年(1194)、第80代・高倉天皇の皇紀・七条院殖子(藤原殖子)が霊夢に感じ、東三条内裏に堂宇を建立。
その堂内に如意輪観世音菩薩を安置したのが七観音院の起こりです。
その後、烏丸六角に移転し、後鳥羽天皇護持の6体の観音像も安置され、護持院と称されました。
京都府地誌には、「開基僧澄憲」と記されています。
文永年間(1264〜75)、第90代・亀山天皇によって再興され、七観音院と称するようになります。
応仁の乱(1467〜77)により焼失し、文明年間(1469〜87)に再建。
天正年間(1573〜1592)、豊臣秀吉の命により、烏丸六角から京極中御霊(上京区)に移転。
さらに、寛文元年(1661)の11月、京極中御霊から現在地に移されました。
旧地である烏丸六角には、現在も「七観音町」が残っています。
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七観音院の仏像
七観音院には、7体の観音像が安置されていました。
- 如意輪観世音菩薩坐像(本尊)
- 聖観音菩薩
- 千手観音菩薩
- 准胝観世音菩薩
- 十一面観音菩薩
- 馬頭観音菩薩
- 不空羂索観音菩薩
この内、本尊の如意輪観世音菩薩は弘法大師・空海作、その他の6体は春日作と伝えられています。
享保12年(1727)3月3日〜4月21日の期間に本尊の開帳が行われ、その後もたびたび開帳が行われたという記録が残されています。
七観音院の現在
2021年3月、七観音院を訪れてみたところ…。
なんと更地になっていました。
移転したという情報も見当たらないため、廃寺になったと思われます。
Googleのストリートビューを見てみたところ、2009年まではお堂があったようですが、2013年には無くなっていました。
2021年現在。
ただ、入り口の門は2018年まではあったようです。
お堂だけ取り壊されて門だけ残った感じでしょうか。
なお、2021年現在は門も無くなっていました。
七観音院跡地へのアクセス
- 京都市営バス「東山安井」から徒歩約4分
七観音院の基本情報
正式名称 | 如意輪山浄仏寺 |
宗旨 | 明算真言宗 |
御本尊 | 如意輪観世音菩薩 |
住所 | 京都市東山区南町422 |
公式HP | なし |