京都市東山区にある世界遺産「清水寺」。
京都で一番人気のお寺であり、世界に自慢できる京都の誇りです。
清水寺といえば、舞台造(懸造)の国宝「本堂」ですよね。
釘は一本も使われておらず、建立から約400年たった現在でも立派な姿をしています。
清水寺の舞台造の建物は、本堂の他にも「奥の院」がありますが、実は、昔はもう一つあったのです。
一体どこにあったのか、歴史と共にお伝えします。
清水寺参詣曼荼羅に描かれた舞台
まずは、「清水寺参詣曼荼羅」をご覧ください。
清水寺参詣曼荼羅は、戦国時代頃に描かれたと伝わる絵図で、清水寺及びその周辺の様子が描かれています。
この絵図をよく見てみると、舞台造の建物が3つ描かれているのが分かります。
本堂と奥の院は、現在とさほど変わっていませんが、一番左の舞台造の建物が謎ですよね。
謎の舞台の正体は「朝倉堂」
まぁ、記事タイトルにもあるのですが、謎の舞台の正体は「朝倉堂」です。
朝倉堂は、応仁の後の永正7年(1510)、越前の守護大名「朝倉貞景」によって建立されたお堂で、現在は洛陽三十三所観音霊場の第13番札所になっています。
そんな朝倉堂の現在の姿がコチラ。
ちょっと地味な目な見た目からは想像できませんが、建立当初は清水寺参詣曼荼羅が示す通り、舞台造りだったのです。
朝倉堂に変化があったのは、江戸時代の寛永6年(1629)。
成就院から出た火によって、本堂や朝倉堂など、清水寺のほとんどのお堂が燃えてしまいました。
焼失後、すぐに再建工事が始まったのですが、朝倉堂があった場所の崖は平らになり、舞台造の建物が作れなくなったようです。
そんな事情もあり、現在は舞台造では無くなっています。
朝倉堂に安置されている仏像は、本堂と同じ形式のため、元々は「本堂のミニ版」みたいな感じだったのでしょうかね。
まとめ
以上、かつて存在した「清水寺の幻の舞台」の紹介でした。
この記事を書きながら、「再建の時に舞台作ってくれればよかったのに・・・」と思ってしまいました(笑)。
まぁいろいろな事情があったのでしょうね。
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参考文献
- 加藤眞吾, 清水寺の謎,2012年
- 淡交社,古寺巡礼清水寺,2008年
- 清水寺,清水寺展,2004年