戦国武将ゆかりの地

明智光秀の塚(首塚) – 白川のほとりにひっそりと。

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こんにちは、京都に来てから歴史好きになったnoboです。

有名な「本能寺の変」で織田信長を討った明智光秀。
今年2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公にも選ばれ、大変注目されています。

本能寺の変の舞台にもなった京都には、明智光秀ゆかりの場所が多く残っています。

東山区の白川のほとりにある「明智光秀の塚(首塚)」もその一つ。
この「明智光秀の塚」に実際に訪れてみたので、どういう場所なのかを写真付きでご紹介していきます。

この記事でわかること
  • 「本能寺の変」後の明智光秀
  • 明智光秀の塚の歴史
  • 明智光秀の塚の様子
  • 明智光秀の塚の場所

「本能寺の変」後の明智光秀

上でも少し触れましたが、明智光秀といえば「本能寺の変」ですよね。

でも、本能寺の変の後の明智光秀を知らない方が多いのでは無いでしょうか。
私もその一人で、「三日天下」で終わったことくらいしか知りませんでした(笑)。

明智光秀の塚の紹介に入る前に、本能寺の変の後の明智光秀について簡単に説明しておきます。

明智光秀のイラスト
本能寺の変〜最期

天正10年(1582)、明智光秀は本能寺に宿泊中の織田信長を襲撃。
信長の自害により謀反は成功し、光秀は天下人になる。
信長の訃報を聞き、中国地方から急遽引き返してきた羽柴秀吉軍約4万人と光秀軍約1万6千人は、山崎(京都府乙訓郡)で激突。光秀は戦いに負ける。

敗北した光秀は、坂本城(滋賀県大津市)に向かう途中、小栗栖(伏見区)の竹やぶで、農民による落ち武者狩りに遭い、重症を負う。
その後、光秀は自害し、家臣に首を打たせたという。

明智光秀に燃やされた本能寺

明智光秀についてもっと知りたい方には、この本がオススメです。

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明智光秀の塚(首塚)の歴史

家臣による介錯の後、光秀の首は家臣によって知恩院近くの山麓に埋められた伝わっています。
公家・吉田兼見の日記「兼見卿記」には、首はすぐに発見され、粟田口に数日間晒さた後、近くに埋めて塚が築かれたことが記されています。

昔、塚は蹴上周辺にあり、「少しでも触れると祟りがある」と恐れられていたそうです。
江戸時代後期の「都名所図会」には、木が茂った塚の様子が描かれています。

江戸中期頃、明智光秀の子孫によって現在地に移され、“祟りの対象”から”信仰の対象”になっていったとのことです。

都名所図会に記された明智光秀の塚「明智光秀首つか」と記された都名所図会の一部。
出典:国際日本文化研究センター

明智光秀の塚(首塚)に行ってみた

知恩院前のバス停から、白川沿いを北東に歩くこと約5分。
「明智光秀の塚 → 1分」の案内板が現れました。

明智光秀の塚(首塚)の案内板

右を向くと、そこには小さな通りがあり、脇には「東梅宮 明智光秀墳」と刻まれた石標があす。

お隣りにある和菓子屋さん「餅寅」に貼ってある説明書きによると、この石標は1845年に建てられたものということです。

明智光秀の塚(首塚)の石標

細い道を進むと…。
明智光秀の塚(首塚)に到着しました。

明智光秀の塚(首塚)の梅宮社

梅宮社

まずは一番目立つ建物について。

この建物は「梅宮社」と呼ばれている小さな祠で、正面には「光秀公」の額が掲げられ、「明智光秀公」の提灯も吊るしてあります。

明智光秀の塚(首塚)の梅宮社 明智光秀の塚(首塚)の梅宮社の提灯

梅宮社の中には、光秀の木像や位牌、白いお地蔵様(?)などが納められています。

梅宮社は近づくとライトが光る仕組みになっており、格子の隙間から中を覗くことが出来ますが、光秀の木像は扉の奥に安置されているので、その姿を生で拝むことは出来ません。

明智光秀の塚(首塚)の内部の写真



五重石塔

石で出来た五重塔「五重石塔」。
弘化2年(1845)に造られたことが刻んであり、この石塔が首塚と呼ばれています。

京都市の説明書きには、「江戸時代中期に現在地に移された際、光秀の首もここに埋められたと伝えられています。」とありましたが、もしかしてこの下に・・・?

明智光秀の塚(首塚)の五重石塔

この五重石塔は、拝むと首より上の病に霊験(ご利益)があるといわれています。

裏側はコンクリートで補強されていました。

明智光秀の塚(首塚)の五重石塔

五重石塔の前には、明智光秀の家紋である「桔梗紋」が刻まれた水鉢が設置されてます。

明智光秀の塚(首塚)の五重石塔

墓石・手水鉢

年季を感じる茶色の石。

実はこれ、墓石なんです。
正面には、光秀の戒名である「長存寺殿明窓玄智大禅定門」が刻まれています。

明智光秀の塚(首塚)の墓石

また、裏側には、明治36年(1903)に歌舞伎役者・市川団蔵が建てたことが記してあります。

明智光秀の塚(首塚)の墓石

また、墓石の隣には、人形浄瑠璃の関係の方が奉納した手水鉢が置いてあります。
今は使われていません。

明智光秀の塚(首塚)の手水鉢

塚の昔と今の様子

梅宮社には、和菓子屋「餅寅」に伝わる江戸時代頃の明智光秀の塚の写真が貼られていました。

墓石と五重石塔は今と変わっていませんね。
墓石の隣に戒名が書いてある石塔婆が建てられていたようですが、こちらは現在残されていないようです。

明智光秀の塚(首塚)の昔の写真

五重石塔の前や梅宮社には、キレイなお花がお供えされていました。

明智光秀の塚(首塚)に供えられた花

地元の方々からとても大切にされていることがわかりますね。

明智光秀の塚(首塚)に供えられた花



帰りは光秀饅頭がオススメ!

上の方で何度か触れた和菓子屋「餅寅」。
江戸時代から明智光秀の塚の整備などを行っておられる老舗の和菓子屋さんです。

明智光秀の塚(首塚)近くの餅寅

この餅寅の名物が「光秀饅頭」。
「つぶあんが入った黒糖饅頭」と「京風白みそあんが入った抹茶饅頭」の2種類があります。

明智光秀の塚(首塚)近くの餅寅の光秀饅頭

訪れた日は、残念ながら黒糖饅頭の方は売り切れ…。
抹茶饅頭の方だけ購入しました。

饅頭には、光秀の家紋「桔梗紋」の焼印が押してありました。
大変美味しかったので、今度は黒糖饅頭と共に購入したいと思います!

明智光秀の塚(首塚)近くの餅寅の光秀饅頭

ちなみに、「明智光秀」という名の京都ブレンド茶も販売されていました。
光秀饅頭と一緒にいかがでしょう。

明智光秀の塚(首塚)近くのブレンド茶・明智光秀

まとめ

以上、明智光秀の塚(首塚)のご紹介でした。

光秀で農民に襲われた「明智藪」や光秀の胴体が祀られている「胴塚」も行ってみたので、時間がある時に記事にしたいと思います!

ぜひ、みなさんも明智光秀の塚を訪れてみてくださいね。

アクセス

  • 京都市営地下鉄東西線”東山駅”から徒歩約3分
  • 京都市営バス”東山三条”から徒歩約4分
    “5,12,31,46,86,100,110,201,202,203,206”号系統
  • 京阪本線”三条駅”から徒歩約11分

基本情報

住所京都市東山区梅宮町474-23
時間24時間
御朱印なし
公式HPなし