戦国武将の中で一番人気の織田信長。
その信長を祀る神社といえば、船岡山の「建勲神社」が有名ですが、実は他にもあるって知っていましたか?
その名も「織田稲荷社」。
この記事では、今宮神社境内にある「織田稲荷社」の歴史などについて、詳しくご紹介いたします。
本能寺の変後の信長
織田稲荷社の紹介の前に、信長の没後の話を。
天正10年(1582)、家臣・明智光秀が謀反を起こし、信長は亡くなりました。
いわゆる「本能寺の変」ですね。
本能寺には火が放たれたため、信長はお堂と共に焼失。
諸説ありますが、この時、信長と親交があった清玉上人が焼失した本能寺に入り、信長や家臣らの骨灰を集め、阿弥陀寺に埋葬したと伝えられています。
阿弥陀寺は、西陣碑で知られる「京都市考古資料館」あたりにあったようです。
阿弥陀寺跡に建立された織田稲荷社
そんな阿弥陀寺ですが、豊臣秀吉による都市改造計画により、上京区寺町通沿いの現在地に移されることになりました。
もちろん、信長・家臣らのお墓も一緒に移転することに。
移転後の阿弥陀寺跡地に、信長を祀る「織田稲荷社」が建立されました。
阿弥陀寺の鎮守社として祀られていた稲荷社が残ったものと思っていましたが、どうやら移転後に新たに建立されたようです。
建立した理由については定かになっていませんが、もしかすると、信長の霊を鎮めるのが目的だったのかもしれませんね。
なぜ「稲荷社」なのかは分かりませんが、、、。
そんな織田稲荷社ですが、明治15年(1882)に同じく信長を祀る「建勲神社」の御旅所となります。
御旅所とは、簡単にいえば「神輿に乗った神様の宿泊所」のことですね。
「建勲稲荷」とも呼ばれた織田稲荷社ですが、その後、御旅所は無くなり、昭和62年(1987)に今宮神社境内に移されることになります。
阿弥陀寺跡・織田稲荷社跡と思われる場所を少し歩いてみましたが、石碑などは何も建てられていませんでした。
小さな祠はありましたが、どうやら関係なさそうです。
今宮神社の織田稲荷社
私も織田稲荷社跡から今宮神社に移動。
なかなか距離があるので、市バスを使いました。
発見しました。織田稲荷社。
紫野稲荷社などと並び、特に目立つこと無くひっそりと祀られています。
お社には「織田稲荷神社」の扁額が掲げられていますが、看板等は無いので事前に知っていないと気付くことは出来なさそうです。
せっかくなので、逆サイドからもパシャリ。
織田稲荷社まとめ
以上、今宮神社境内に祀られている織田稲荷社の紹介でした。
おそらく多くの人が知らないであろう織田稲荷社。
もっともっと注目されてほしいなぁと思うばかりです。
ちなみに、本能寺で信長倒した明智光秀の塚(首塚)が東山にあるって知ってました?
コチラの記事にまとめていますので、よかったらご覧ください。